1975年9月15日
Bird’s Eye View
personel
森園勝敏(g.vo)
柴山和彦(g,cho)
中村 哲(key,sax)
長沢博行(b,cho)
岡井大二(ds)
memo
森園勝敏は、「with Bird’s Eye View」名義で「Escape」というアルバムを1980年にリリースしているが、Bird’s Eye Viewという名前が初めて使われたのは、この年の「田島ヶ原」のステージにおいてだった。
四人囃子の森園・岡井大二に、安全バンドから長沢博行・中村哲、さらにジュリエットから柴山和彦を加えたスーパー・グループということになるが、この日の彼らの演奏については音源が残っておらず、また当日の管理人の記憶もないので、現時点ではどんな音楽を奏でていたのかは不明である。
ただ、森園を初めとするメンバーの、その後のいわゆるフュージョン的なサウンド志向への端緒ともいうべきステージだったであろうことは、想像にかたくない。
この「田島ヶ原」の後、翌76年初めに四人囃子のセカンド・アルバム『ゴールデン・ピクニックス』のレコーディングが始まるまでのあいだ、Bird’s Eye Viewはライヴハウスなどで活動を続けたようだが、その「ゴールデン〜」には、それまでの四人囃子サウンドとは一線を画するフュージョン志向の先駆的作品、「レディ・ヴァイオレッタ」が収録される。
また同じく76年にレコーディングされた安全バンドのセカンド・アルバム『あんぜんバンドのふしぎなたび』においても、骨太なロック志向を基調に残しつつ、やはりそれまでのサウンドを一変させた、フュージョン色の強いアレンジ、サウンドが展開されている。
そうした流れを後付けでさかのぼってみると、この「田島ヶ原」が起点として浮き上がってくると言えるだろう。
なお「Escape」のころの「Bird’s Eye View」は、森園と中村以外のメンバーは入れ替わっており、したがってこの75年を第一期、80年の「Escape」のころを第二期と位置づけることができるだろう。
ところで、スライド・ショーにした彼らの写真には、やや意味不明のものが写っているのでふれておこう。まず7枚目の写真、左側手前に見えるPAスピーカーに乗せられた板。どうやら高音不足を補う目的で設置されたものらしい。
それから13枚目、ステージ裏からのショットで、左右に張られたヒモに何かがいくつも吊り下げられているのがわかる。続くラストの写真で、スモークのようなものがステージを覆っているのが見えるので、そのための煙り玉か、花火の類いのものだろうか。
いずれにせよ、こうした実に手作り的な工夫、努力が、何ともほほえましい。
● 写真撮影・提供:土屋勝 ●