1973年9月15日〜1979年9月16日

残念ながら、70年代のURCのコンサートの写真はあまり残っていない。田島ヶ原の写真も例外ではなく、何回も出演したハルヲフォン、タージ・マハル旅行団を初め四人囃子、マンドレイク、キングコング・パラダイス、3/3 etc.etc.の写真も皆無で、音源以外は何も残っていない。
そんなわけで、出演者・関係者を含め当日来場された方で、写真をお持ちの方からのご連絡を切にお待ちするものです。

1973.9.15●Vol.1

▲73年、第一回「田島ヶ原野外フリー・コンサート」での長沢ヒロ(安全バンド)。キムタクじゃありません(笑)。数枚あるこれ以外のショット(いずれも長沢ヒロのみ)は、いずれ安全バンドのページにupします。

▲同じく73年のステージ風景。MC中の後姿は、URC創立時のメンバーであり、安全バンドのマネージャーでもある滝口修一。並んでいるPA機材は、もちろん無償協力していただいたYAMAHAだが、今から見るとこじんまりと何と可愛らしいセットだろう・・・。何の台もなく、地べたにそのままま置かれている。

同様に、ステージと呼べるようなものがないのもわかる。社会党系の建築事務所にやはり無償で貸してもらったコンパネ(平たい木箱=建築用資材)や、単なるベニヤ板を敷いただけだった。なお左端で座っているのは、出演した「うたち」のドラムのゲーリー。滝口以外のURCスタッフも何人か写っていて、管理人も写っているが、どれかは教えたくない(笑)。

1975.9.14●Vol.3

▲1975年9月14日、3回目の「田島ヶ原」での「うたち」。ステージ左手に立っているのは、安全バンドのロード・マネージャーで、彼らの面倒も見ていた松本登氏(のち沖縄の「紫」マネージャー、現「アバコ・クリエイティヴ・スタジオ」社長)。

▲同じく「うたち」。彼らは解散後「東京ローズ」を結成し、79年の「田島ヶ原」にも出演している。背景にあるのは武蔵野線の鉄橋で、時々列車がトコトコと演奏中のバンドの後ろを通り過ぎるのが牧歌的だった。

▲ステージに向かって右側の風景。この写真ではわからないが、小川を隔ててゴルフ場が広がっていた。また右よりのところに、照明機材(ピン・スポット)が2本置いてあるのがわかる。
ライティングは、73・74年は東洋大の「ShowStage研究会」、それ以後はずっと「総合舞台」にお願いしていた。また会場に電源はないので、電源車を用意せねばならず、毎回「東京機材」という会社に頼んでいた。

▲ステージの反対側には、浦和ー志木を結ぶ志木街道が通っていた。ほとんどの人は、浦和駅発でこの道を通る国際興業バスに乗って会場に来た。満員のバスからゾロゾロ降りてくる光景を見るにつけ、国際興業はURCに金一封を出すべきだと思ったものだ(笑)。

1976.9.15●Vol.4

▲ステージが20センチほどの高さになった。PA機材は相変わらず地べたに直置きだが、73年に比べると量が倍以上に増えているのがわかる。演奏しているのはURC創設者・蓮実氏率いるストーンズ・コピー・バンド、「ルナティック」(下も)。メンバーはURCスタッフ・元スタッフ・協力者などからなるセッション・バンドで、管理人も出演していたりする。

▲激しいステージ・アクションをキメているのが蓮実さん。
ところで上の2枚の写真には、望遠レンズ付きのカメラで撮影中と思しき人が写っている。特に田島ヶ原ではこういう方は何人もいたはずで、コンサートの写真がこの世のどこかに必ずや眠っているはず・・・このHPへの吉報をひたすら待ちたい。

1979.9.16●Vol.7

実はこの年はURCではなく、変則的に「田島ヶ原フリー・コンサート実行委員会」の主催。URCは協力というスタンスになっている。その辺の事情については、今後の更新で記していくが、従ってこの回だけは機材はYAMAHAではなく、JOKERというPA屋さんに頼んでいる。

▲鉄パイプが組まれ、PAや照明機材が少しまともにセッティングされるようになったのがわかる。鉄パイプなどの資材も、前掲の建築事務所から無償でお借りし、自分たちで組み上げていた。
ステージにいるのは、シルエットからみて大宮の女性四人組「パンサー」。女性グループを大いに応援していたURCゆえ、他のURC関係のコンサートにも何度も出演している。ツェッペリンのコピーを得意としていた。

▲同じく「女性ロック・グループ」の「水玉消防団」、ドラムの天鼓。彼女は後に、フレッド・フリス、ジョン・ゾーン、アート・リンゼイらと共演する世界的なヴォイス・パフォーマーとしてはばたく。

▲上下の2枚は所沢のパンク・バンド「鉄城門」。この日のステージは、まちがいなく彼らのベスト・パフォーマンスだった(音源も残っているので後日upする予定)。

▲まだ観客が集まりきっていない時間帯のようだが、この写真は実はカラーで、彼らのみならず田島ヶ原のこのコンサートの雰囲気を活写している。(クリックすると大きいカラー写真が見れます。)