1975年9月15日

だててんりゅう

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personel
隣雅夫(org.vo)
ZIN(g)
野中ひろあき(b)
中村好考(ds)

memo

だててんりゅうとURCの出会いは、安全バンドのマネージャーでありURC創立スタッフの一人である滝口修一が、京都で彼らを見初めたことに始まっている。

まず73年秋に、東京理科大生だったURCのスタッフが、母校の学園祭で開いたイヴェントにおいて初登場。そして翌74年から75年、さらに77年と、「田島ヶ原」には3回出演している。これはハルヲフォン、キグコング・パラダイスと並んで、安全バンドの4回に次ぐ回数だった。彼らのユニークな楽曲とワイルドなパフォーマンスが、我々は大好きだった。

ただ、何せ京都のバンドだから、交通費も出せないこのイヴェントに、こちらから気安く「出演してください」とは言えない。だから初めはこちらからは声をかけられなかったのだが、しかし田島ヶ原での開催の情報をどこからか得た彼らのほうから、「リヤカー引いてでも行くから出してくれ」という連絡が来て、出演してもらうことになったのだった。

そうした申し出が、我々をいったいどれだけ鼓舞したことだろう。

リーダーの隣雅夫の存在感は独特のものがあり、フリーキーなキーボード・プレイだけでなく、迫力のあるヴォーカルにも魅力があった。特に忘れられないのは、「目の前で鬼が溶けてゆく」という内容の歌詞をくり返す曲で(タイトル不明)、今でも管理人はふと「溶〜けてゆく、溶〜けてゆく」というフレーズを口ずさむことがある(笑)。そのおどろおどろしい感じは、ドラッグの匂いと、京都という街の匂いを合わせて感じさせるものだった。また、

バナナの皮をしゃぶりながら/にやついた顔に釘を打ち込む・・・/アメリカ アメリカ/くたばれアメリカ

といったインパクトのある歌詞を持つ「バナナ」という曲も、忘れられない。全体としてサイケ/プログレ・ハード的なサウンドだった印象があるが、はっぴいえんど的なソフィスケイトされた曲もあり、音楽性の幅は広いものがあった。

なお、だててんりゅうは現在も活動中。詳しくは下記のオフィシャル・サイトで。

https://masaotonari.com/datetenryu/

● 写真撮影・提供:土屋勝 ●

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