1975年9月15日
メリケン・ブーツ
personel
堀内寛昭(vo,g)
牟田憲司(vo,g)
松本やすし(b,ch)
広瀬 晃(ds)
1976年「春一番」でのステージ(天王寺野外音楽堂)
memo
メリケン・ブーツは、初期ビートルズのエッセンスを巧みに消化したバンドで、ポップな佳曲、優れた日本語ロックンロールをたくさん創り出していた。本拠は京都で、前身は「都落ち」というバンドだった。
リーダーの堀内氏は、リード・ヴォーカル&リズム・ギターの役割と、メガネをかけた風貌や親分肌の感じもあいまって、「レノン」と呼ばれていた。リード・ギターの牟田氏(ケンちゃん)は、レノンと対等にリード・ヴォーカル的な役もこなし、言わばベース抜きのポールとジョージの「1.5役」をこなしていた。
その曲作りのセンス、まとまったサウンドの魅力だけでなく、ひょうひょうとしたバンドの風情も非常にURC好みだったため、田島ヶ原、3point、埼大むつめ祭オールナイト、さらにヤマハ主催の「ロック・エリア」と、のきなみURC関連のイヴェントに出演してもらっている。
同時期のバンドと比べるなら、ビートルズのロックンロールをカヴァーしていた所も含め、音楽的にはキャロルと重なる志向もあったが、歌詞のテーマの広がりやユーモア感覚は、むしろダウンタウン・ブギウギ・バンドに近いところがあった・・・と書いていて思い出した、3point出演時、黒いサングラスをかけて宇崎竜堂のパロディをチラッとやってみせたレノンに、大笑いしたことがありました。
この75年の「田島ヶ原」では、2日目の15日に出演してもらったが、前日の14日の昼間にもふらりと現れ、飛び入りでビートルズ・ヴァージョンの「Bad Boy」やヴェンチャーズの「ダイヤモンド・ヘッド」など数曲を演奏している。その時のレノンのMCが忘れられない。
「皆、金はろたか?俺はさっきはろたで」
フリー・コンサートとはいっても、URCとしてはこの企画の継続のために、スタッフが会場内を何度も回って自発的な「料金」を募っていたのだが、その様を見て、彼は自分も「参加者の一人」として払うことにしたのだろう。もちろんバンドはすべてノーギャラだったわけで、それにとどまらず料金を払ってしまうとは・・・こちらとしては身の置場のなくなるような話だが、しかしそうしたレノン、メリケン・ブーツの存在は、URCにとってはとても元気づけられるものだった。
15日の本ステージでは、多くの客からのリクエストに応えて、レノンが「ちょっとだけやぞ」と言いながら、ビートルズのオリジナル・ナンバーのさわりを、ケンちゃんと二人で次から次へと連発、大いに会場をわかせた。ふだん彼らは、ビートルズがカヴァーしたロックンロール・ナンバーを演奏することはあっても、ビートルズのオリジナルのカヴァーはやらなかったから、驚くと同時にそのみごとなカヴァーぶりに非常に興奮したのを覚えている。
※upした写真に、鈴木ヒロミツ似の人間が写っているが、この方が誰なのかは不明です。
彼らの音源は、「春一番」や「8.8Rock Day」のライヴ・オムニバス盤に収録されたことがあるが、その魅力を充分に伝えるものとは言いがたい。残念ながらURCのコンサートでの音源は残っていないのだが、なぜか手元に京都「拾得」や亀岡市でのライヴ音源、あるいはスタジオ録音によるデモ音源などがあるので、いずれこのHPで紹介できれば、と考えている。
※75年11月の埼大むつめ祭への出演時、新曲として披露した「貧乏」をテーマにしたロックンロール・ナンバー(曲名不詳。上記音源にも未収録)、最高に面白かったんだが、もう一度聴きたいなぁ。「ビーンボ ビーンボ」というリフレインがきまって、大笑いしながらノったのを覚えている。そういえばレノンのMCはいつも聴き手の爆笑を誘っていたし、あるいは「自動車ショー歌」をカヴァーしたり、ほんとにユーモア感覚あふれるバンドだった。
その一方で、オリジナルのポップなラヴ・ソングは、切実さ、誠実さがあふれていた・・・それはまさにビートルズ的なものだった。
1976年8月7日「8.8Rock Day」でのステージ(万博記念公園お祭り広場)
● 写真撮影・提供:土屋勝 ●