安全バンド
『月まで飛んで』
同志社大学学園祭
1975.11.29
『月まで飛んで』Outro Another Version
月まで飛んで
作詞・作曲:長沢博行
personel
長沢博行(vo,b)
相沢民男(vo,g)
相沢友邦(ch,g)
中村哲(key,sax)
伊藤純一郎(vo,ds)
「月まで飛んで」Outro Another Version
ファースト・アルバムの同曲アウトロ用に録音され
採用されなかった別ヴァージョン
memo1
同志社大のステージ写真は残っていないので、使用した写真はトビラの長沢ヒロも含め、同年の別のライヴのものだが、ここに相沢民男の写真をupしたのにはわけがある(左が相沢民男/兄、右が相沢友邦/弟)。
1975年11月29日、この音源のライヴを最後に、相沢民男は安全バンドを脱退しているのである。彼が安全バンドのメンバーとしてステージに立ったのは、その後の再結成を除けば、この同志社大のライヴが最後だったのだ。
この日「月まで飛んで」は、アンコールの「Discover Japan」に続いて、当日最後の曲として演奏された。従ってこの音源で聴ける相沢民男のギターは、彼の安全バンドにおけるまさに最後のプレイであり、一方安全バンドの演奏も、彼の在籍時のものとしてはまさにその最後の姿ということになる。
この音源は、安全バンドの歴史においては、そうした特別の位置にある音源である。
memo2
同志社大のコンサートが相沢民男のラスト・ステージということは事前に知らされていたので、URCのスタッフや関係者は、マイクロバスをレンタルして京都まで日帰りのツアーを敢行した。10人ぐらい同乗したと思う。
URC関係者が首都圏を越えて安全バンドを聴きにいったのは、スタッフとして参加した74年のワンステップ・フェスを別として、それが最初で最後のことだった。
誰もが、オリジナル・メンバーがそろった安全バンドの最後の姿を、目に焼きつけておこうと思ったわけだが、個人的には、その「最後の場」に立ち合うことは、自分にとっての義務でもあるように感じていた気がする。
再生への祈りとも言える「月まで飛んで」という曲を、この特別な一夜の演奏で聴いていると、そうした記憶も含め、様々な思いが次々と胸の中を去来するのをどうにも止めることができない。
memo3
なお、ここにupした音源での長沢ヒロのヴォーカルは、彼にとってのベストではないが、総合的な出来からいってこのヴァージョンを採用した。ヴォーカルだけに限れば、この曲でのより優れたパフォーマンスの録音が、他にいくつも残っている。
特に同じ75年に福島でミカ・バンドと競演した時のものは絶品で、歌い出しのワン・コーラス部分で、思わず会場から大きな拍手が巻き起こるほどである。しかしバックの演奏に色々と問題があって、採用できず・・・残念。
memo4
相沢民男脱退後どうしていくのか、この時点では、安全バンドとしては何も決まっていない状態だった。オリジナル・メンバーの3人(長沢博行・相沢民男・伊藤じゅんぺい)のうち誰か一人が欠けた安全バンドなどというものは、誰にも想像はできなかったのである。
だが、そのまま解散に至ってもおかしくないような数カ月間のまったくのブランクを経て、翌76年3月31日、相沢民男を除いた四人のメンバーは、ONKYO HOUSEスタジオに結集する。そしてその日、名作の誉れ高いセカンド・アルバム『あんぜんバンドのふしぎなたび』のレコーディングがスタート、安全バンドは新たな一歩を踏み出したのだった。
memo5
「月まで飛んで」Outro Another Versionは、上記のように、ファースト・アルバム収録の同曲のエンディング用に録音されたもの。他にもう一つ、よりノイジーな別パターンのものもある。本邦初公開のレア音源だが、まぁファーストをお持ちでない方がこれだけ聴いても、あまり意味がないですね(笑)。個人的には、今回UPしたこのヴァージョンが一番良いと思うのだが。
memo6
「月まで飛んで」は、安全バンドの曲としては「けだるい」「13階の女」と並んで人気の高い曲で、後者の2曲をライヴでカヴァーしているROLLYは、「月まで飛んで」もカヴァーし、自らのCDに収録してもいる。
数年前の彼のライヴでは、本ステージ終盤を「けだるい」で盛り上げ、アンコールで「月まで飛んで」をやったりすることがあったようですね。