追悼 佐久間正英氏

1月16日、四人囃子二代目のベーシスト、佐久間正英氏が亡くなられた。昨夏の闘病の公表以来、半年も経たずしての旅立ちだった。

URCにとっては、四人囃子時代よりも、むしろ囃子加入前のキャリアである「Myth Touch」(ミスタッチ)在籍時の関わりのほうが大きかったと言えるかもしれない。

Myth Touchは、当時としては非常に珍しいEL&Pスタイルのトリオ・バンドで、キーボードは、後に同じく四人囃子に加入する茂木由多加氏だった。彼も11年前のやはり1月に早逝している。

銀座の3PONIT、埼大学園祭(後夜祭)、東京理科大学園祭、そして田島ヶ原。ほぼすべてちょうど40年前の1974年の話だが、たぶん足かけ2年ぐらいの活動期間だったと思われるMyth Touchのライヴは、半分以上はURC絡みだったのではないだろうか。

↑の写真は、浦和市民会館(1974年8月27日)。アンコールで、クリムゾンの「21st Century Schizoid Man」を、ギターレスのそのトリオ編成でカヴァーしたりしているこの日のライヴは、音源もコンプリートで残っている。ほかに四人囃子として1977年に出演してもらった「田島ヶ原」の音源も同様に残っているが、野外フリー・コンサートとあってか、いくぶん昂揚した氏の若々しいMCが印象的だ。

率直に言えば佐久間氏に私は、囃子のメンバーとしては、どうしても先代ベーシストの中村真一氏と比べてしまうがゆえの不満があったし、またプロデューサーとしての氏の活動内容に批判的でもあった(たぶんそれは「ポップ」であることについての解釈が全く違うことによる)。

もちろんMyth Touchにはおおいに楽しませてもらったし、佐久間氏が居ればこそ四人囃子は継続し、田島ヶ原への出演もあったわけであり(77年のその出演はURCの窮地を救うものだった)、敬意と感謝の念を失うことはない。

しかしいずれにせよ、敬意も感謝も不満も批判も、今感じる喪失感の前ではただただ虚しい。

3PONITで、開演前のMyth Touchのリハーサル時、生ギターで「第三の男」をつま弾いていたことを思い出す。その日MCでちょっと噛んだことを客にツっこまれて、「フランス生まれなんでフランス語入ってるだけだよ」と即答し、妙に説得力があってウケたこと。あるいはいつのリハだったか、発表されたばかりだったKISSの曲、「Detroit Rock City」のベース・リフを楽しそうに弾いていた姿も懐かしい。

それにしても、、、初代マネージャーの岡井嗣明氏。そしてこのHPでも追悼記事をUPし先にもふれた、初代ベーシスト中村真一氏。それに茂木氏を加えると、四人囃子関連で4人も既にこの世にいないとは、、、何ということだろう。呆然とするのみだ。