インタヴューを終えて
・・・蓮実さんの話を聞き終わっての率直な感想は、「その後のURCが何十年続いたとしても、我々は結局彼の掌の上で踊っていただけでは・・・」というものだった。彼が残していった「謎」を解こうとして解けないので、結果的にURCは続いたのではないか。70年代の初頭、各地に出現したロックのイヴェンターが、73、4年には、一斉に霧消するか、いわゆる「呼び屋」に変身する中で。ーその謎は、やはり60年代末から70年代にかけてのあの時代が何だったのか、という問いと関わるものだという気がする。
謎というのは、矛盾と同義である。「フリー・コンサート」という矛盾。あるいは「プラスとマイナス」の「無名バンド総決起集会」という矛盾。今さら毛沢東じゃないが、矛盾こそはすべての運動の源であるとすれば、我々はそれを解決すべく、やみくもに実践を重ねていただけなのかもしれない。
そして・・・蓮実さんが得られなかった「答」を我々が得ることはなかったし、何も解決はしなかったわけだが。
一つだけはっきりしたことがある。それはURCがその後も続けた「フリー・コンサート」というものが、多くの人が勘違いしやすいのだが、あの「ウッドストック」幻想を起源としていたわけではないことだ。蓮実さんは、ウッドストックには関係なく、まったく個人的な理由でその形態をとったと明言している。
もちろん、他のスタッフや協力者、コンサートに集まった人々には、ウッドストック幻想は大なり小なりあったろうし、それと無縁で行なわれたわけではないのも事実だろう。しかし蓮実さん離脱後もURCは、イヴェントとしてのウッドストックを礼賛することはなく、基本的には相対化した視線しか持っていなかったと思う。
蓮実さんのその「個人的な理由」については、どこまでうまく文章としてまとめられたか自信はない。ただそれが「金儲け」を何か汚れたものとしたり、紋切り型の「反商業主義」といった内容ではないことだけは誤解なきよう。
フリー・コンサートというスタイルについては、特にミュージシャン・サイドの一部から、当時批判があったことは百も承知である。この問題ついてはこれからこのHPで当然色々と取上げられていくだろう。
P.S. 文中に出てくる蓮実さんのストーンズに関する論文、「ジャンピング・ジャック・フラッシュって何だ?」については、復刻の許可をいただいたので、いずれこのホームページにupしたいと考えています。