35年前(2005年現在)に始まるURCのHISTORYを綴るには、何よりもURC創立時のメンバーへのインタヴューによって直接の証言を得ていく必要がある。管理人は初めは単なる客の一人でしかなかったので、創立時の状況については実はよく知らないことが多いのだ。そしてそのインタヴューは、何と言ってもまずこの方の話を伺うことから始めるほかはない。URC創立の中心人物、蓮実研一氏である。

創立時のメンバーとしては、安全バンドのマネージャーとしての活動も行なった、滝口修一氏の名前のほうが世に知られている(もちろん彼も重要な位置を占めていた)が、いわば台風の目のように中核にいたのは蓮実さんであり、彼の発想、認識、技術的能力、そして爆発的な行動力からURCのすべてが始まったといっても過言ではない。

私が正式にスタッフとして参加した72年の時点では、蓮実さんは既にURCの活動から身を引かれており、数々の伝説を残した、ある種神話的な存在となっていた。とはいっても、浦和の街中でお会いすることはあったし、彼のバンドでギターを弾いたりしたこともある。しかし蓮実さんがURCについて、ロックについて、どう考えているのか訊いたことは一度もない。後追いで始めた当方にとっては、畏れ多い方だったゆえだが、彼のほうも決して自分から話そうとはしなかった。

しかし今回、とうの昔にロックを過去のものとして葬り、別の道を選ばれた蓮実さんに、初めて正面からURCについて語っていただき、今ごろ初めて知った多くの驚きの事実も含め、極めて貴重なお話を伺うことができた。


読みこんでいただければわかるはずだが、とはいえ話し言葉を文字に変えての再現には否応なく限界があるので、念のために説明しておくと、単なる事実関係についての話はともかく、事の本質的な部分についての蓮実さんの語り口は、極めて重いものだった。ほとんど訊問のごとくこちらが質問を重ねて、無理矢理話をしてもらったようなものである。

たとえ、(笑)と入っていても、それは必ずしも明るいものだったわけではない。途中、申し訳なくて、質問をやめようかと思った部分もあるのだが、そのお人柄に甘えて、こちらのエゴを通させていただいた。元々がまったくもってこちらの都合でしかないインタヴューであり、蓮実さんにとっては迷惑な話でしかなかったはずだ。私の懇願を断りきれずご協力いただいたことには、心の底から感謝しています。

前置きが長くなってしまったが、それではご一読ください。内容はかなり整理したものの、それでも1万5千字に及ぶ長さとなった。このインタヴューは、URCというものがどうして出現したか、さらにはそれが、是非は差し置き(笑)なぜ曲がりなりにもその後の継続性を持ちえたのかの、一つの答が示されるものになったと思う。

なお、サポート的に、滝口氏にも同席してもらった。

(URC HP管理人/高沢正樹)

interview 2003.11

蓮実研一

URC創設者(1970~71)

インタヴュアー・高沢正樹(サポート・滝口修一)

※文中に挿入されているポスターは、謄写版印刷(ガリ刷り)によるもので、すべて蓮実さんの制作。

ロックとの出会い

高沢:蓮実さんが、何の前例もない中、個人的にどういう感じでURCを始めたのか、 その経緯をお伺いしたいわけですが。ロックに惹かれたのは・・・

蓮実:僕の場合は、ロックを聴いたり、URCみたいのをやったり、ましてや バンドで自分が歌う * とか、そんなことは全然考えていなかったんだよね。欲望としていだくということすら、全然なかった。そういう環境にいなかったから。だから、ロックに関わったこと自体が、後から考えても奇跡的なことにしか思えない(笑)

高:蓮実さんは49年生まれですよね。その世代だと、ビートルズより先にエルビス・プレスリーを聴いていたというケースもありえると思うんですが。

蓮:僕は知らなかったね、プレスリー。それどころか、ビートルズが入ってきたのがたぶん中学3年のころで、クラスのまわりの連中はビートルズ、ビートルズって騒いでたけど、僕は何の反応もしなかった。その後も僕にとってビートルズは関係ないけど、高校3年の時、たまたま春日部高校の文化祭に行ってね、体育館で高校生のロック・バンドを聴くことがあって、その時演奏されてたローリング・ストーンズの「Get Off Of My Cloud」(邦題/ひとりぼっちの世界)を聴いてショックを受けた、というところから始まるわけです。結局「Get Off Of My Cloud」という曲は、今に至るまで僕が一番好きな曲なんだけど

高:じゃ、ラジオで聴いたとかいうんじゃなくて、その高校生のアマチュア・バンドで・・・

蓮:そう。でもだからといって、僕は自分でレコード買うというふうには動かない人間なので、ほんとはそれだけで終わってたのかもしれない。でも弟がロックを好きで、よく部屋でレコードをかけていて、たまたまその中に「Get Off Of My Cloud」もあったわけ。 で、弟のレコードを又聴きする形で、段々ストーンズとの関わりを強めていった。

高:ラジオのヒット・チャート番組を追いかけるとか、そういうことはしましたか?

蓮:いや、そういう番組は、用のない曲もかかるから、聴かなかった。弟から「お上がり」で(笑)プレーヤーとかレコードもらって、聴いてた。彼がストーンズ好きだったから、非常に便利だった(笑)。

* バンドで自分が歌う

アナキズムへの志向

高:そのストーンズ好きが高じて、ロックの企画グループを立ち上げる方向に進んだわけですか。

蓮:もともと人が集まって何かやる、ということに、自分の希望とか欲求が 非常に強く動いていたんだね。URC以前にも、高校生同士で集まって、学習会みたいな「アメーバ・クラブ」というグループを作ったりもしていたし。

高:それは、何をテーマに集まったんですか?

蓮:究極的には、まぁ当時の言葉で言えば、革命的な社会変革、世界の変革ということになるかな。

高:70年前後の、政治的な緊張をはらんだ状況への意識があったわけでしょうか。

蓮:意識とか志というのは、これはもう非常に非常に強いものがあった。もしも僕に、自分が願うままに人に話しかける能力があったら、これはもう絶対に革命家になるか政治家になるか、そっちに行ったと思う。せいぜいURCどまりだったっていうのは(笑)、そっちのほうの才能とか実行力がまるっきりなかったからで、一歩もニ歩も後退したところで、URCをやっていた。

僕のまわりの政治的な志向の奴らは、そっちに突っ走ってて、「我が世の春」みたいにやってるわけだし、そういう動きに先頭切って加わりたい、という激しい欲求もあるわけだから、あの頃は非常に辛かった。やれない自分が残念で残念でしかたなかった。

高:「才能とか実行力がまるっきりなかった」というのは・・・

蓮:まぁ自己認識としては、「自分のアタマが悪かったから」ということでかたづくんだけど、僕は革命家、その中でもアナキストになりたかったんだよね。別の言い方をすると、ほんとは煽動者になるのが理想だったというか。人間を動かすというのが、人間のやる最高の事であり、人間の生きてる意味だと思ってたから。しかし能力がついていかなくて、それには落第した失格者なわけ(笑)

高:でも、そんなに非常に強い志があったにも関わらず、なぜそこまで「できない」と思ったのか、今一つわからないなぁ。蓮実さんに「才能とか実行力がまるっきりなかった」とは思わないし・・・

蓮:これは、自分としては恥ずかしい話になるからね。あまり口に出しては言いたくないんだけど・・・。まぁ、まわりの動きにかたくなに同じようとしない、という自分があったんだよね。だから一種の反抗みたいなものとして、ストーンズとかURCがあったというか。反抗というより、自分でもどうにもならないストライキというべきかな。今でもそうだけど、そう簡単に人とつきあえないわけ。わかっちゃいるけど動けないというか(笑)

高:当時の政治的な潮流に惹かれつつも、それに自分も揃ってしまうことに対して違和感があった、ということですか?

蓮:そうです。・・・ただ客観的にみれば、もっと別の理由はあった。僕がアナキズムに惹かれてたのは高校の頃からで、アナキストのグループとも関わりがあったのね。それで新宿のアジトに出入りしてたことがあって、まぁ怪しげな連中もたくさんいたんだけど、浪人やってた19才の年の10月6日、そのアジトにいたら爆弾が暴発して、グループの首謀者が顔に火傷を負ったりする事件が起きたわけです。

僕自身は爆弾への志向というのは全然なかったんだけど、爆発物取締罰則法違反で、その場にいた十数人、ほかにも合わせて二十何人、逮捕された。僕は警察に23日間留置されたあと、未成年だったから練馬の少年鑑別所に一ヶ月位入れられて。これは余談だけど、そのせいか、次の年に20才で埼大に入って、バリストに顔出したりしたらね、「アナキストが来た」って(笑)。僕の名前は伝わってたらしい。

高:ハクがついてたわけですね。

蓮:(笑)で、事件後の裁判闘争で、とにかく後始末はちゃんとしなくちゃと思って、拘置所への差入れとか弁護士との相談とか、僕は中心になってやってたんだけど、 逮捕されたアナキスト連中のなりふりを見ていたら、これじゃどうしようもないな、と。これじゃ何かやろうったってやれないな、と・・・。自分の能力不足と、まわりに対するそういう落胆とで、結局挫折したんだよね。

高:「これじゃどうしようもない」というのは・・・

蓮:結局人間の弱さが出てきちゃうわけ。別に権力にしゃべらなくてもいいことを、人の迷惑もかえりみず、取調べで皆どんどんしゃべっちゃう・・・僕自身は、取調べなんて全然平気で、何もしゃべらなかったんだけど。それで調書が出そろってみると、もう皆洗いざらいしゃべっちゃってて、なるべく被告の有利なようにとかいう裁判闘争の対策なんて、もう立てようもなかった。

まぁ、その首謀者というのも、これはオウムの麻原の理解にも役立ったんだけど、おかしな奴でね。爆弾なんか作らせておいて、一方で警察に連絡とって、自分のやってることをタレこんだりしてたことが後にわかって・・・

高:ちょっとわけがわかりませんね。

蓮:要するに「関係妄想」というか、権力の中枢に関わっているとか、色々な所に自分が関係しているということに満足を見い出すんだろうね。あるいは、自分のまわりに集まってくる人間を極限状況に追い込んで、その反応を見ることに興味を持つとか、ちょっと変な宗教がかった人物だった。だけど、誰もこっちの首謀者が公安と通じてたなんて思ってもみないから、「あなたはほんとにそんなことやってたのか!」って泣き出す奴もいた。

高:その暴発事件の前から、集会やデモに参加するようなことはされてたんですか。

蓮:黒いヘルメットかぶって、少しはあった。それとは別に、平行して、高校の仲間とともに浦和のベ平連にも加わって活動してた。

高:アナキストを志向していて、ベ平連的なものに対するものたりなさみたいなものは、なかったんですか。

蓮:そりゃ、言ってしまえば、アナキスト的な立場に立てれば、丸っきりものたりないよね(笑)。でも立てなかったわけだから。文句言いたくても言えない(笑)

致命的ローリング・ストーンズ中毒者同盟

高:そして69年9月12日に、URCの前にまず「致命的ストーンズ中毒者同盟」名義で『黒くぬれ!』というレコード・コンサートを開かれるわけですが。

蓮:あぁ、そうだったかな。URCの前にそういう助走期間が必要だったのかな。

高:内にも外にも限界を感じて、アナキスト的な志向から、これからは、ストーンズに象徴されるようなロックの潮流に身を置いていこう、という感じになったわけでしょうか。

蓮:そうですね。少なくとも当時は、ロックにマイナス面というのをあまり感じなかったから。ただ、ストーンズが好きだとかいっても、全面的にロック、というわけではなかった。あくまでも自分の中では、一部分。

でも、滝口君を初め、ロックをやってる人たちを僕が見る目は、非常に肯定的だった。そういう人間としては、僕には滝口君が初めての人だったけど、人間的弱さを持ってる連中が政治に関わるとロクなことがない、っていうのを目の当たりに見てきたから、「若い人間はロックでもやってるのがいいんじゃないか」と思ったというか(笑)

高:当時、いわゆる「反戦フォーク」がありましたよね、そういうのはどうでしたか。

蓮:僕はフォークは全然評価しなかった。だいたいデカイ音を出そうとしないというのが、もう・・・

高:・・・しみったれてる?

蓮:そうそう(笑)。今はデカイ音出せる時代なんだから、出すべきだと(笑)

高:政治的にラジカルなものを志向する人たちからは、ロックに対して「思想性がない」、浮かれてドンチャンやってる場合じゃない、とかいう批判もあったと思うんですが。

蓮:あぁ、でもね、そういう連中にとっては、結局ロックは「わけのわからないこと」だった、というところじゃないのかな。同じ世代でも、自分でも聴いてなければね。だから意味付けできなかったんだと思うよ、ただ単に。少なくとも僕と同じ世代では、ロック志向の人間というのはすごく少なかったし、だから僕がロックで何かやり始めたことは、まわりの友人たちには「わけのわからないこと」だったと思う。

高:「致命的ストーンズ中毒者同盟」というのは、メンバーははっきりしてたんですか。

蓮:どうだったかな。よく覚えてない・・・。人がどうでも、自分だけはやるという感じだったからかな。でももう滝口君とは出会ってたよね。レコード・コンサートで使うステレオを借りたりしてたから。

滝口:蓮実さんの部屋で、何人かでレコード持ち寄って、茶話会みたいのやってたんだよね。その延長線上でレコード・コンサートやったんだよ。俺はアンチ・ストーンズじゃないけど、でもそのセクトでもないから(笑)、同盟員だった自覚はないけど。

蓮:ただ、自分のほかに人がいても、僕には「皆と一緒に」やってるという感じはなかったね。滝口君のように、ロックが自分の中でかなりの部分を占めるというわけじゃなかったし。ほんとは、やる以上は100%の形でやれればいいんだけど、ロックに対してもやっぱりストライキを起こす自分がいた(笑)。煮え切らなかったわけです。

滝:「ロックは自分の一部でしかないんだ」というのは、蓮実さんは当時折りにふれ言っていた。僕も蓮見さんは、ロックの世界なんかにとどまるような、そんな程度の人物だとは思ってなかったね。

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