安全バンド with 森園勝敏(G)

昔のように

ドアをしめろ

けだるい

夜 part1〜2

夜 part3〜4

1973.10.12 @銀座3POINT メモ

昔のように
作詞・作曲:相沢民男

ドアをしめろ
けだるい
夜(THE NIGHT)
作詞・作曲:長沢博行

personel
長沢博行(vo,b)
相沢民男(vo,g)
伊藤純一郎(vo,ds)
森園勝敏(g)*guest

※使用されている写真は、場所は3POINTだが、音源が録音された当日のものではなく、すべて74年12月27日の年末パーティのセッション時のもの(撮影:柿本桂一氏)。

UPした音源は、まだトリオ編成だった安全バンドに、四人囃子の森園勝敏が参加したライヴ・パフォーマンスの記録である。森園は、当日安全バンドが演奏した12曲のオリジナルのうち、1曲目の「すべてが消えた今」以外の全曲に参加している。

当日のセットリスト

単なるジャム・セッションを越えたここまでの全面的なコラボは、いかに二つのバンドが親密だったとはいえ、この一夜限りのものだったろう(*注)。

相沢と森園のギター・バトル、長沢と伊藤がくり出す強靭なリズム。聴き所は満載だ。リハーサル不足ゆえの混乱はあるし、また録音バランスや音質に難もあるものの、当時の熱気、彼らの意欲やめざしていたものが鮮やかに伝わってくる、極めて貴重な音源である。当日客席で録音したテープを保管し続け、数年前にネット経由でその存在を伝えてくれた土屋真紀さんには、他の数多くのやはり貴重なテープのご提供とともに、改めて深い感謝の意を捧げたい。

さて、では曲ごとに解説を加えていこう。なお少しオフぎみで相対的に柔らかなレスポールの音が相沢、より固めで大きめに聴こえるストラトの音が森園である。

*注:伊藤が所用で出演不能となった安全バンドのステージで、急遽岡井大二が代役を務めたことはある。

1)昔のように

作詞作曲、ヴォーカルもギターの相沢民男のナンバーで、彼の在籍時の安全バンドのステージでは必ずといっていいほど演奏されたナンバー。CD『安全バンドLIVE!1974〜76』にも3POINTでの翌年の別テイクが収録されており、聴き比べるとバンドのサウンドの大きな変化がよくわかる。

この日の演奏は、段々とアップテンポとなるアレンジの間奏部、ちょっと暴走ぎみである(笑)。とはいえ当日会場でライヴとして聴いていれば、たぶんそんな批評などするヒマもなく、とんでもない勢いにただ圧倒されただけかもしれない。そして何といっても、イントロとアウトロで奏でられるツイン・ギターが限りなく美しい。森園はその部分以外はコード・カッティングに徹している。

2)ドアをしめろ

「けだるい」と並ぶ安全バンドの代表曲の一つで、こうしたテンポ、リズムのヘヴィ・ロックを演奏した時の安全バンドの重量感は、右に出るものはいなかったと改めて思う。テーマ的にくり返されるギター・リフのバックで、ゆっくりとコードが移動する部分にそれは顕著で、やっていることは単にアタマ打ちでシンプルなことなのだが、その重量感たるや暴力的なまでの迫力がある(1stアルバムに収録されたこの曲の正規ヴァージョンでは、そうした重量感がまったく消えているのは残念としか言えない)。

森園はやはりコード・プレイ主体の演奏だが、間奏の後半と、エンディングに向かう部分での長沢のヴォーカルとの掛け合いでリード・ギターを披露している。

聴き取りにくいが、正規ヴァージョンとは部分的に歌詞が違う。

3)けだるい

スライド・ギターは森園。相沢友邦の参加によってツイン・ギターとなった翌年以降のライヴや、1stアルバム収録の正規ヴァージョンでも聴くことのできるスライド・ギター使用のアレンジは、この時の森園のプレイをヒントにしたものと思われる。

相沢の、7thとルートの音を交互に使った特徴的なイントロのギター・リフ、及びD♭/Dを使って16分ですばやく刻むコード・カッティングのアレンジも、この時点ではまだ登場していない。

間奏でのリード・ギターは前半が相沢、後半が森園。

4)夜(THE NIGHT)

エコー・チェンバーを駆使した相沢のプレイや、ファンならすぐそれとわかるいかにも森園らしいフレージングを交えたプレイ、そして彼らとリズム隊の二人とのスリリングな絡みが堪能できるこの音源は、要所を四つのパートに分けて編集し、フェイドイン&アウトでつないだダイジェスト版である。この日、この曲は実に26分近い長さで演奏されているため、その全体をUPできないことはご容赦願いたい。

個人的には、この「夜」という曲は、演奏されるたびに長大となっていった印象があった。しかし改めてこの曲が演奏された72年から74年までの音源を通して調べると、74年には15分前後で演奏されるようになっており、タイム的にはむしろ段々とコンパクトになっていったことがわかった。長大となっていったように感じたのは、演奏のスケール感が増していったゆえなのかもしれない。

ところで知らない人が多いだろうが、実は安全バンドには、中村哲参加の2年前、72年後半の僅かのあいだ、高野進というキーボード奏者が加入していたことがある。この「夜」という曲は、元々は長沢がそのメンバーを前提に作った曲であった(「月まで飛んで」も同様)。

前述の土屋さんのご協力のお陰で、その高野氏在籍時の音源も手元にあり、彼が参加した「夜」の演奏も聴くことができる。キーボードを大きくフィーチャーしつつ、途中に唐突にアップテンポとなるパートを挟む組曲的なこの大作のその録音を聴いていると、アレンジ的にはもっと複雑とはいえ「一触即発」との相似性を感じるところがある。

72年といえば四人囃子はまだ「一触即発」はできあがっておらず(完成は73年夏)、「お祭り」がオリジナルのメインだった時期のわけだが、人間関係面のみならず、日本語によるオリジナルの追求、という音楽面でも、二つのバンドに非常に近しい部分があったことを、この「夜」という曲は物語っていると言えるだろう。


驚くべきことに、このライヴからわずか8日後の10月20日、森園は四人囃子のメンバーとともに、日比谷野音での「聖ロック祭」でPANTAとTOSHIのバッキングを務め、頭脳警察のオリジナルを20曲近く演奏している。その技術的・音楽的能力、そのエネルギーたるや恐るべし。森園勝敏、この時まだ19歳と8ヶ月。

※相沢民男と森園勝敏の約30年後の邂逅、そのギター・バトルの模様はVideo 安全囃子 2002に動画がUPしてあります。