「西安揺滾音楽會」20周年記念♪メモ
※揺滾(ヤオグン)は「ロックンロール」の中国での直訳的な呼称。↑のポスターの「友好」の部分には、本来はその2文字が入っていたが、当局対策として急遽差し替えられている。
思えば前回、西安関連でUPを行なったのは2005年のことで(SOUND 1990s 長沢ヒロ&HIROISMのページに音源をUP)、それは、その少し前に発生した「西安留学生寸劇事件」を発端にした、日中関係の状況の変化に促されてのものだった。
その後の日中関係は、現象的には悪化の一途をたどっているようにみえる。自分自身の対中意識も、20年前の1994年当時はもちろん、その2005年と比べても、正直同じとはいえない。
そんな中、中国側スタッフにとどまらない、コンサートに集まったたくさんの未知の中国の若者たちとの熱い交流が展開し、「日中友好」が屈託なく実現していた、当時の記録映像を久しぶりに観て、大いに示唆されるところがあった。
もともとは、実は誰も「日中友好」を真面目に考えて始めたわけではなく、西安に、かつてのURCのようにロックを自らの街に広めたいと思っている学生たち(西安揺滾普及弁公室)が居て、ぜひ力を貸してほしいという話があり、そいつは面白そうだと転がっていっただけの企画なのだが。
映像は割愛したが、最後の「さよならパーティ」での挨拶で、私(管理人)は「次回は西安のバンドが日本に来てください」と発言している。そのあとまた日本からバンドが行って、と目論んでのことだ。諸々の理由でその提案が実を結ぶことはなかったが、そんな試みがもし継続して現在に至っていれば、いよいよ面白かったのにと、今さらながらというか、今だからこそ残念に思う。
もちろん、映像からも伝わってくるような、無心とも無邪気ともいえる当時のお互いのノリだけでは、継続できなかっただろうが・・・だからこそ、である。
さて、今回の映像は、オリジナルは基本的にはツアー参加者配布用に制作したものなので、イヴェント自体に興味がなければ冗長かもしれない。ともあれ見所をいくつか挙げておけば、PART1では、何といってもPA屋(楽器屋)さんが、深夜JBLのスピーカーを搬入するシーン。運搬が自転車&リヤカーというのも、段ボールの箱入りというのも凄すぎる(笑)。
PART2では、中国愛唱歌の「大海阿故郷」の会場全体での大合唱シーン。そういうタイプの曲とは思えないが、絶叫調で歌う人の姿も(笑)。長沢ヒロのヴォーカルは絶品だ。
PART3でも、やはり完全に一体化した会場の様子が感動的。そして、、、コンサート終了後の日中関係者の達成感に溢れた笑顔から、この企画がどれだけの困難を乗り越えてのものだったかを推測していただければ。そういえば、そもそも存命だったトウ小平氏の体調如何で、進んだ話も丸ごと吹っ飛び、すべての苦労が水泡に帰すかも、という恐怖にずっとおののきながらの企画なのだった・・・!!
最後に、西安ロックプロジェクトの代表をみごとに務めた沼田朋子さん!あなたの気力と能力に、ここで改めて敬意と謝意を表します。ほんとうにお疲れさまでした!!
※ビデオでBGMに使われているのは、すべて長沢ヒロ&HIROISMの西安LIVE音源です。
コンサート開催までの経緯、およびバンドのパーソネルや楽曲については、冒頭でふれたSOUND 1990s 長沢ヒロ&HIROISMのページにリンクされている音源や文章(メモ)を参照してください。