[1980年11月2日 埼玉会館大ホール フラッシュバック!70-80
URC創立10周年記念フェスティバル]

『Dance With Rock’n Roll』
1980.11.2@埼玉会館大ホール

Dance With Rock’n Roll
作詞・作曲:キョウ

personel
キョウ(vo,g)
ジル(b,ch)
ナオミ(ds,ch)

memo1

レディキラーは、所沢から元気よく登場した女性のロック・トリオ。78年から81年ごろまでの数年間、URCのイヴェントの常連だった。URC初出演は、1978年11月2日の埼大オールナイト・コンサート。音源をUPした80年のこの「10周年記念コンサート」のころは、三人とも17、8才だったと思う。

ポップなキャンディ・ソングも得意だったが、音を聴いてもらえばわかるように、骨太のハード・ロックンロールを身上とするバンドだった。

オリジナル曲のほかには、「Summertime Blues」や「Born To Be Wild」といった定番曲のカヴァーもやっていた。79年のヤマハEastWestではみごとレディース部門のグランプリを獲得している。

このコンサートの後は、81年以降若干のメンバー・チェンジをへて、ミッシングテイルというバンドに移行し、そして84年ごろまでに解散したようだ。その後ナオミは、新たにヤンキースというバンドで85年に再びEastWestに参加し、シニア部門で最優秀ドラマー賞を得ている。

またさらにそれより後、夜中にTVを観ていたら、出てきた女性ロック・バンドのドラマーが彼女だったということもあった。いつ何という番組だったか、バンド名も含め正確なことは覚えていないが、アマチュアとしてではなく、プロ・デビューを果たした新人バンドという感じだったと思う。

こうしてレディキラーについて書いていて蘇るのは、URCは、安全バンドや四人囃子といった、メジャー・デビューも果たし名もなしたバンドと同じくらい、いやそれ以上の時間をあまたの「無名」のバンドと共に過ごしたということであり、そうした活動こそがURCの基盤としてあったということだ。

3人ともどうしているかな。色々調べてみましたが、連絡先がわかりませんでした。事後になり大変申し訳ありませんが、もしこのHPを観たら連絡をください。

直接の面識はないのだが、川口市のほうでNEWSというやはり女性パワーロック・トリオが息長く活動していて、裕也さんの「ニューイヤー・ロック・フェスティヴァル」にも毎回登場している。彼女たちを観ていると、志向に違いはあるものの、ふとレディキラーを思い出すことがある(調べてみたらNEWSも、86年のEastWestでレディース部門のグランプリを獲得しているバンドだった)。

※上の写真は80年初め(1月ごろ?)の所沢でのライヴから(Yoshida氏主催イヴェント)。

※この原稿の作成にあたり、カツミさんから情報提供をいただきました。ありがとうございました。

memo2

ところでこの国では、77年夏のランナウェイズの「Cherry Bomb」のヒットで、何はともあれ「ガールズ・ロック」的なものが広く認知されたのだが、ガーター・ベルトを売りにしたそんなはやり以前にURCは、75年にクリスタルというバンドを3ポイントに出したのを皮切りに、女性ロッカーを積極的に支援する方針を打ち出していた。

鈴木さえ子(Ds)を擁したメドゥーサをトリに7つの女性ロック・グループが一挙に出演する「女性無名バンド総決起集会」(下のチラシ参照)を企画したのは、「Cherry Bomb」がヒットする前のことだったし、それまでの積み重ねがあったからこそ、この時期に先駆的に可能になったイヴェントだった(77.8.5)。

なお、出演者中スーパー・エレファンツだけは男女混合だったが、80年に女性だけのバンドマゼンダに移行し、「10周年記念」にも出演している。マゼンダは、現在森園勝敏や布谷文夫のサポートなどで活躍しているベーシスト、フジタヨシコが音楽面の中心だったバンドで、82年の解散後に、ギタリストがゼルダに加入したりもしている。

マゼンダの音源もいずれupする予定。