1979年9月16日●とりあえず版

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URCは、1971年の駒場サッカー場を初回とし、1973年に「田島ヶ原」に場所を移して続けた野外フリー・コンサートのシリーズ<フェニックス>を、状況論的な判断から、1978年をもっていったん休止している(その経緯については、後日「1978年の田島ヶ原」についての記事をUPする時に詳述したい)。

なので1979年の「田島ヶ原」は、上掲フライヤーの表記にあるとおり、URCは主催はしておらず、「協力」にすぎない。それゆえフライヤーのセンスも違っているし、<フェニックス>の表記もない。

あくまでも「休止」であって、もう二度と開かないと宣言したわけではなかったのだが、しかし「こういうものは一度止まったらそのまま終わる」という危機感をいだいた「田島ヶ原ファン」は多かったようだ。そして、ならば、と自ら動きだした人々が、すなわち「とにかく今年も田島ヶ原を!」という思いに駆られた人々が、実行委員会を起ち上げて開催してしまったのが、1979年の「田島ヶ原」なのである。

当時のURCは、誰の主催かということに関係なく、田島ヶ原という場所でフリー・コンサートが開かれること自体に、前述したように状況論として否定的だったので、そんな予想外の事態に、当初はちょっと困った感があったのが正直な所だ。

もちろん開かれるとなればその成功は祈らざるを得ないし、ノウハウの伝授にとどまらず、URC人脈で実際に汗を流した人間も少なくなかったが、URCとしてのまとまった支援はしていない。特に管理人など、前日と当日、会場で適当に雑用を手伝った程度だったと思う。

しかし、それまでロックのイヴェントを開いたことなどまったくない「素人」の集まりであるにもかかわらず、その「実行委員会」は、のべ千人前後は集まる規模の、それも「野外」「フリー・コンサート」という特殊な設定のイヴェントを、見よう見まねで、しかし自力で立派に実現してしまったのだった。

そんなことが起こり得たのは、やはり当時の浦和ならではのことだったというほかはない。URCはよくひとつの「オルタナティヴ」だったと評されることがあるのだが、そのまたそれこそオルタナティヴで、少なくとも一度ぐらいなら有志が「田島ヶ原」を代わりにやってしまえるようなエネルギーが、そこには在ったわけである。逆に言えば、そうした「厚み」の中にこそURCも存在しえたということになろう。

(そういえば、協力として名を連ねている「現代形而上学的音楽美研究会」ってあったなあ。プログレ愛好会的なサークルで、変拍子を偏愛する代表のHくんが、URCに参加していた時期があった)

さて↑は冒頭のフライヤーの裏面。会場への詳しいアクセス情報が掲載されている。この細やかさは、これまで客として来場を重ねた人々ゆえの発想かもしれない。URCが単にズボラだったとも言えるが(笑)、開催日当日、浦和駅西口改札前にボードを持った案内係を配置するぐらいはしたものの、URCはここまでていねいな文字情報の提供はしたことがない。

時刻表を見ると、やはり夜の現地発のバスの本数が少ないことがわかる。コンサート終了は毎回9時半は軽く過ぎていたはずで、みんなどうやって帰っていったんだろう、と改めて謎。

↓続いて当日昼間の会場の様子。バンドは大宮の「パンサー」、そして鉄城門。記録に残すことがURC以上に意識されていたので、1979年は写真がたくさん残っており、「田島ヶ原」の歴史を伝える上でひじょうに貴重だ。音源も、水玉消防団の恐怖の衝撃的なデビュー当時音源、所沢のユニークなパンク・バンド、鉄城門の絶頂期の音源(Sound 1970s 鉄城門のページにUP済)など比類なきものが残り、聴き直すことができる。この年の「田島ヶ原」がなければ、彼ら彼女たちの音像は、記憶の彼方にフェイドアウトするばかりだったろう。

なおこのページはタイトルにあるとおり「とりあえず版」で、写真や音源については、後日改めて正規にまとめてUPする予定。

ところでこの年のステージでは、夜になってちょっとしたトラブルが発生している。まあその経緯については、後日に(そればっかだな/笑)稿を改めたい。いずれにせよ、この年「田島ヶ原」を休止したURCだったが、とりわけ今となっては、1度でも多くの「田島ヶ原」が開かれたことがほんとうに幸いだったと、心から思う。

最後に、当日会場で配布されたプログラムを↓。現物はB4三つ折り。今は様相が変わってしまった会場使用場所を一望する写真が感慨深い。裏面に記された文章が、何よりもこの年の「田島ヶ原」の持つ意味をダイレクトに伝えてくれるだろう。「田島ヶ原」は、URCの手をいっとき離れて、こうした人々の熱い思いと共に70年代の終焉を迎え、そして80年代の再開を待つこととなる。

▲1979田島ヶ原プログラム(表) 
▲1979田島ヶ原プログラム(裏)


▲1979田島ヶ原プログラム▲
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★画面ではプログラム表面左下の<かかった費用>の項目が読み取れないと思うので、以下に転記。

ポスター/1,000枚:9万円
ビラ/30,000枚:9万円
電源車・照明:15万円
P・A:8万円
録音・写真:5万円
レンタカー:3万円
その他(食料・軽油・工具など):6万円
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計:55万円

ちなみに会場費は、市営のこの公園の場合、営利目的の使用でなければ千円、二千円といったところだった。現在とは貨幣価値が全然違うので、この額面の評価はにわかにはできないが、人件費、出演料の類が当然?いっさい計上されていないのは確かである(笑)。