追悼 坂下秀実氏
7月31日、四人囃子オリジナル・メンバーのキーボーディスト、坂下秀実氏が亡くなった。2年ほど前の、事故なのか事件なのか詳らかでないが、そのとき負ったケガの重い後遺症と闘い、リハビリ中だった。一時はわずかながらも回復の兆しが、と聞いていたのだが、、、コロナ禍でお見舞いにも行けずじまいのお別れとなってしまった。無念だ。
ベーシストの中村真一氏の2011年の急逝に次ぐ、オリジナル・メンバーの早すぎる死である。真一氏の追悼記事で「言葉がない」と書いたが、やはり何を語ろうとも、この喪失感を少しも埋め合わせることはできない。四人囃子は、一時期参加した茂木由多加氏の2003年の急死に始まって、2009年にはマネージャーだった岡井嗣明氏、そして真一氏、2014年の佐久間正英氏、さらに坂下氏と、あまりにも不幸が続きすぎで愕然とする。
70年代や80年代の頃に比べれば、その後URCの活動も途切れ途切れとなり、四人囃子のメンバーと会う機会も少なくなっていたが、しかし2000年代に入ってURCがイヴェントやパーティを開くことが増えると、彼らは進んでサポートしてくれて、場を華やかに盛り上げてくれた。坂下氏は、打ち上げの席で必ず「高沢たいへんだね、いつでも来るから何かあったらまた呼んでよ」と、温かい声をかけて労をねぎらってくれた。その優しさはいつも身に沁みて、力をもらったものだ。
2015年、「URC創立45周年記念」のイヴェントに出演してくれた時は、ギャラを振り込む口座番号を何度尋ねても結局教えてくれなかった。URCへのお祝いで出たんだからギャラはいらない、そういうご厚情ゆえだったのだろうと思っている。
その姿を記憶にとどめるべく、2010年にURC関連のイヴェントに四人囃子として出演した時の映像をupした。田中聡というURCのスタッフだった人物の死去を受けて開かれた追悼イヴェントで、その準備中に急逝した岡井嗣明氏の追悼も兼ねることになった企画だった。中村真一氏の姿も収められているので、したがってこの映像には早世した4人が絡んでいることになる。何ともやるせない。
私は53年生まれで坂下氏とは同い年、学年も同じ。個人的には、イヴェント関連以外で会うことはなかったし、今度飲もうよというような関係でもなかったが、にも関わらず、もう会おうと思っても、あの大柄でゆったりとした物腰、ユーモア好きの柔和な笑顔に二度と会えないのだと思うと、その寂しさ、悲しさの大きさに驚く。そして打ちひしがれる、、、。もう会えないのかよ、坂下、、、
(管理人/高沢 2022.8.10)
(カメラとの位置関係で、坂下氏の姿は間奏のところで見えるだけだが、ご容赦を。ただしキーボードの音のほうは全編よく聴こえてきます。なおこの日の演奏はリハなしのセッション的なもので、オリジナル四人囃子としての人前での演奏は、たぶんこれが最後。またinformation入り口の写真は、1975年3月12日、渋谷公会堂「ファースト・ジャパン・ロック・フェスティバル」のステージから)
*Facebook URCページ投稿欄にも記事があるのでご覧ください(↑上部↑にリンクのタブがあります)。
今年1月9日の投稿には坂下氏が在籍したPEGMOの映像もあります。