ウラワ・バンド連合

URCにとっては、安全バンドや四人囃子、頭脳警察、あるいはP-MODELやキングコング・パラダイスといった、その後メジャーのレコード会社からアルバムを出すグループとの関係だけでなく、より無名なあまたのアマチュア・バンドとの関係が、当初から日常的な活動の基盤ともいうべき極めて重要な位置を占めていた。

基本のコンセプトは71年に始まる「無名バンド総決起集会」にあったのだが、そのシリーズ終了後、70年代末期の「ウラワ・バンド連合」の結成は、そうした関係性の一つの結実だったといえる。浦和にある「ほまれ会館」という小さな会場を借りて、参加した各バンド持ち回りでプロデュースを担当し、「プレイパワー」と名付けたイヴェントをマンスリーで開催するという活動が、URC本体の活動と並行してくり広げられた。

当時意識はしなかったが、時はちょうど「東京ロッカーズ」が注目を集めた頃とも重なる。命名からだけでも、そのセンスの違いがわかる・・・「東京ロッカーズ」も実はけっこう田舎臭いと思うが、こちらのほうがもっと田舎臭い(笑)。当然こうしたレベルでの活動についても、これから色々ととりあげていくことになるだろう。

以下、とりあえずそのウラワ・バンド連合に参加した3つのバンドの写真をupします。

鉄城門

PANTAやTOSHIの地元、所沢が生んだユニークなパンク・バンド。パフォーマンスや演奏面だけでなく、楽曲的にも非常にクオリティの高いものがあった。愉快なインタヴューや良い状態の音源が残っているので、いずれ復刻し、所沢という地でパンクがどう花開いたか検証してみたい。

なお上の写真は、79年、所沢駅近くで、インタヴューに合わせて撮影されたもの。

スーパー・エレファンツ

URCのスタッフおよび協力者を中心に結成された男女混成バンド。この写真は79年9月の「田島ヶ原」のステージから。

エレファンツは80年に「マゼンダ」という女性だけのバンドに発展し、ライヴハウス「屋根裏」などでも人気を博した。後期のギタリストは、マゼンダ解散後ゼルダに加入している。またベーシストのフジタヨシコ(写真左)は、自身のバンド「essence」の他に、近年PANTA、森園勝敏などのサポート・メンバーとしても活躍。

ハード・メイプル

ルックス、演奏力共に秀でたものがあったハードロック・バンドで、当時人気のあったレイジーに続けとプッシュ、ひと儲けを狙ったが、すぐにあえなく解散。もくろみは海の藻くずと消えた(笑)

なお前身にあたるバンド「マーズ」には、ホッピー神山が在籍していた。彼は私の高校の後輩なので会うたび先輩風吹かしていたが、今や世界のホッピーとして名高く、仰ぎ見る存在に・・・(笑)

写真は79年12月埼玉会館での、バンド連合最後のコンサートから。


※ウラワ・バンド連合には、ほかに「レディキラー」や「パンサー」(いずれも女性グループ)、80年に木暮武彦(シャケ)とバンドを結成するメンバーが在籍した「パイルドライバー」などが参加していた。