田島ヶ原野外フリーコンサート 1985
◎この映像について◎

映像が断片的なのはそのように撮影されたからで、水玉消防団に関しては、URCに残っている映像はこれがすべてである。アングル的に、カメラの反対側(下手側)に位置するキーボード(の可夜さん)がほとんど写っていないの残念だったりもするが、だが彼女たちが持っていた尋常ならぬ切迫感、テンションの高さが充分伝わってくる貴重な映像と言えるだろう。

なお映像の最後にイヴェント終了時の場面が出てくるが、これは編集によって付加したもので、当日の実際のトリはP-MODELである。

この85年については、左側メニューのPHOTOから入って1980s→田島ヶ原1985のページに、中川五郎さんのステージの模様が音源付きでUPしてあるので、そちらも参照(『20TH CENTURY'S』の所をクリック)。

また水玉消防団の1980年の音源および解説テキスト(メモ)が、同じく左側メニューSOUND1980sのページにUPしてあります。

◎80年代「田島ヶ原」の歴史◎

80年代の「田島ヶ原」は、まずURCの一時的活動停止中に、URCの若手スタッフ有志が結成した「風船爆弾」というグループが、82年9月12日に開催しようとして台風直撃で中止(VOL.8)。スタッフは、当日コンサートを開くどころか、豪雨で水没した事務所の水をかき出していたのだった・・・(涙)

※82年の主な出演予定者は、P-MODEL、PEGMO、水玉消防団、中川五郎、マゼンダ、REAL、暗黒大陸じゃがたら。

続く83年、URCが「田島ヶ原10周年」として10月9日に企画するも、やはり台風の影響で中止(VOL.9)。この年は現地は水浸しになったものの、午後には台風一過晴れ上がったので、中止とは思わなかった客が集まってしまう事態となった。

※83年の主な出演予定者は、P-MODEL、PEGMO、ゼルダ、REAL、朴保&切狂言、吉野大作&プロスティテュート。

84年は諸般の事情で企画されること自体がなく、めでたく再び開催できたのは85年9月15日のVOL.10においてだが、しかし「田島ヶ原」の歴史上唯一雨天での決行となった。台風の影響での雨だったかどうかは忘れたが、雨量自体がさほどのことがなかったので、何とか開けたのだった。

続く1986年が8月中の開催となったのは、9月という台風シーズンに開くという無謀な伝統?に、そんなこんなでようやく懲りてのことだった(もっとも、すべて9月中に開いた70年代は、奇蹟的なことに一度も台風にも雨にもやられていないのだが・・・)。

そうしてめでたく晴天の中開かれた1986年「田島ヶ原」ではあったが、しかし我々の宣伝力不足ゆえか、バンドの動員力に難があったのか、のべで500人来たかどうかという1日目の参加者数は、ちょっと寂しいものがあり残念だった。とはいえ2日目は千人近い動員があり、大トリのP-MODELの時には、70年代の「田島ヶ原」にも近しい盛り上がりをみせ、例によって何のトラブルもなく大団円のうちに終了している。

この年については、演奏シーンはないものの、「田島ヶ原」という場所の雰囲気や、ステージ設営などに奮闘するスタッフを活写したメイキング映像が、VIDEO Tajimagahara 1986のページにUPしてあるので、そちらもご覧ください。

◎「田島ヶ原」という場所◎

実は「田島ヶ原」というのは通称で、公式の名称は「さくら草公園」であり、さいたま(当時は浦和)市営の公園である。埼玉県花の「さくら草」の自生地であることからその名がついた。

より広大な県営の「秋ヶ瀬公園」が隣接していることによって増幅されもする、その緑豊かでのびのびとした雰囲気とともに、浦和駅からバスで30分かからず(つまり東京都内からでも90分内外で)着いてしまうという、アクセスの容易さも魅力だった。

「田島ヶ原フリーコンサート」は、一貫してURCの活動の核を成していたから、こうした秀逸な場所がもしなかったら、我々の活動もたぶん早々に終焉を迎えたろうし、こんなHPが作られることもなく、また「田島ヶ原」での数々の名演が、今になって復刻されて世に出ることもなかったわけである。

「天の時」「地の利」「人の和」の三要素そろわざる所、物事の成功はないとする古人の格言があるが、「天の時」にかなうものだったかいかにも怪しく、はたまた微力な我々スタッフの「和」の力などたかが知れていることを思えば、我々にあった最も強力な要素は、何にも増して「地の利」だった、とこの映像を観ながら今さらに思い至る今日このごろ。