196769
●1967年秋@春日部高校文化祭
URC創設者ともいうべき蓮実研一、春高祭に登場した高校生バンドが演奏するストーンズ・ナンバー「Get Off Of My Cloud(ひとりぼっちの世界)」でロックと出会う(本人は浦和高校)。

●1969年9月12日(金)@東電サービス・センター
黒くぬれ!レコード・コンサート

蓮実が主宰する「致命的ローリング・ストーンズ中毒者同盟」初のイヴェントが開かれる。
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●1969年10月上旬@埼玉会館大ホール
ブラック・パンサー講演会』(主催:埼玉べ平連)

前月の『黒くぬれ!』で配付されたリーフレットでは、ブラック・パンサー党の闘士をメインにアメリカのSDSやドイツSDSの活動家も呼ぶという、この国際的な集会が開かれることへの衝撃が語られ、そのレコード・コンサートも「来るべき黒い秋に向けての最もささやかな第一歩」と位置付けられていた。

●1969年11月下旬@埼玉大学むつめ祭
乞食の晩餐レコード・コンサート

埼大生となっていた蓮実が、数十枚のロックのレコード・ステレオ・毛布を教室に持ち込み、学園祭に参加する形で開かれた。集客はあまりなかったようだが、5日間泊り込み・ぶっ通しの企画だった。

タイトルは、もちろん前年にリリースされたストーンズのアルバム「Beggars Banquet」からとられているが、このイヴェントが「致命的ローリング・ストーンズ中毒者同盟」名義だったのかどうかは不明。

1970

●1970年10月14日(水)@東電サービス・センター
vol.1ジミ・ヘンの魔法のランプ
     
ジミ・ヘン追悼レコード・コンサート
70名ほどの参加者を得たこのイヴェントにおいて、ウラワ・ロックンロール・センターが発足、URCの歴史がこの日から始まる。発足時のメンバーは蓮実を中心に4名。
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●1970年10月 『シタデル』開店

9月1日に着工され、埼玉べ平連およびその関係者によって、浦和駅東口徒歩3分の所に建設された、べ平連のHPによれば「反戦スナック」。蓮実が積極的に関わったことは、店名が例によってストーンズの曲名「Citadel」(砦、最後の拠り所の意)からとられていることからもわかる。

URCのメンバーはこの店を「ロック喫茶」と呼んで、翌71年2月25日の不審火による焼失まで、入りびたってロックのレコードをかけまくる。
          11月のプログラム

●1970年11月20日(金)〜23日(月)@埼玉大学むつめ祭
vol.2ロックンロール・ダンジョン

69年の「乞食の晩餐」と同じく、学園祭中の埼大の教室を使って、「ロックLP100枚!ゴーゴーパーティ!」といううたい文句と共に、4日間泊り込み・ぶっ通しで開かれた、URCのイヴェント第2弾。ダンジョン(dungeon)というのは、天守閣あるいは地下牢という意味。

今回はレコードをかけるだけでなく、「アンプや楽器を用意するので演奏したい人は自由にどうぞ」という企画も盛りこまれていた。その告知のチラシは限定でわずか50枚だけ作られ、京浜東北線の車中を歩きながら「来そうな奴」(長髪とかジーパンとか)を蓮実が選んで、直接手渡すという形で配付された。

そのチラシの一枚が、ルートは不明だが、四人囃子の前身であるザ・サンニンの手に渡って彼らの興味を引くこととなり、浦和の街外れにあって交通の便も悪い埼大に、わざわざ杉並方面から、まだ高校生だった岡井大二と中村真一がやってくることになる。

彼ら二人に、居合わせたベーシストを交えて始まったセッションで(この日はザ・サンニンのもう一人のメンバーである森園勝敏は不参加だったため、中村真一がギターとヴォーカルを担当)、彼らの演奏のクオリティの高さにURCのメンバーは驚愕。急遽ろくに来客のない教室を出て、キャンパス中庭に機材を運び、野外ライヴを日没まで敢行している。

四人囃子との現在にまで続く関係が、この時に始まった。蓮実の究極のピン・ポイント宣伝が、URCにとんでもない大きな果実をもたらしたわけである。

●1970年12月13日(日)@浦和・玉蔵院
vol.3≫『玉蔵院ロック・フェスティヴァル
URC初のライヴ・コンサート。浦和市の真ん中にある玉蔵院というお寺の境内を借りて開かれた。ブルース・クリエイションをメインに、「ミキシング・マシーン」、四人囃子の前身「ザ・サンニン」が出演。寒風の中数十名の聴衆を集める。
           
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1971
●1971年5月15日(土)@浦和市民会館8Fコンサート室
vol.4ロック・タワーレコード・コンサート

午前9時から午後9時までという、あふれる意欲が伝わってくるような、会場の使用可能時間をめいっぱい使ったレコード・コンサート。海賊盤特集以外に「特別講演」2本、ガラクタ交換、密室での12時間の気分転換用か「椅子取りゲーム」まで(笑)、テンコ盛りの内容だ。ロバート・ジョンソンやマディ・ウォーターズなど、ルーツ系のレコードもメニューに入っている。

会場の浦和市民会館(現さいたま市民会館)は4月にオープンしたばかりで、8階の「コンサート室」を初めて使ったのはこの日のURCだった。チラシ(リーフレット)には、本来は成毛滋やエム、頭脳警察を呼んで開くはずの企画が、「コンサート室」と名付けられた会場が名ばかりのもので、ロックには使えず流れたという経緯も書かれている。

とはいえ、リーフレットには「バンド演奏」とも書かれており、「安全バンド」の名前も見えるが、やはりまともに音を出して演奏することはできなかったようだ。したがって彼らの本当の浦和デビューは、翌月の「無名バンド総決起集会」に持ち越されることになる。

そういえば後年、バンド演奏どころか、レコード・コンサートでも「ロックには貸せない」と言われて、ひともめしたことがある。「文教都市」というのが浦和の売りだったのだが、その中身はと言えばその程度のものなのだった。
            flyer(leaflet)

●1971年6月23日(水)@浦和市民会館ホール
vol.5≫『無名バンド総決起集会
「田島ヶ原野外フリー・コンサート」と並んでURCの活動の基軸となった企画の第1回。このイヴェントで安全バンド・四人囃子が浦和に初登場。浦和市民会館ホールでロック・コンサートが開かれたのも、この時が初。
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●1971年8月28日(土)@駒場サッカー場
vol.6≫ 『フェニックス・ロック・フェスティヴァル
蓮実氏を中心とした第1期URCの、その集大成ともいうべきイヴェント。安全バンド・四人囃子に加え、頭脳警察も初登場。浦和市の住宅街のさなかにある駒場サッカー場で開かれ、「騒音」に苦情が殺到、進行もおしたため、トリのブルース・クリエイションは演奏できなかった。
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