Great Pop Songs
In The Beautiful Sky
美空ひばり十七回忌に寄せて

え?何でまた美空ひばり?と思われるか方もいるかもしれないが、ま、ここはそういう気ままなページです。一応最後にこのサイトらしいオチも用意してあるんで。

さて、ちまたでは、本年(05年)の6月24日が美空ひばりの十七回忌ということで、TVなどであれこれ特番が組まれている。それで、改めて思い出したんだが、「お祭りマンボ」と、「ロックに挑戦した」と語られる(ほんとか?)「真赤な太陽」あたりはさておき、それ以外の彼女の優れた「ポップ・シンガー」としての姿、コンテンポラリーな「ポピュラー歌手」だった姿は、いったいどこまで知られているのだろうか?

「美空ひばりはジャズもうまかった」という話ぐらいは、彼女がジャズを歌ったCDが現在簡単に入手できることもあって、たまに語られはする。もっともほとんどの場合それは、わけもわからず「あんなに高度で芸術的なジャズも歌えたんですねぇ」と、単に彼女の「天才的な歌手」としての神話を補完するエピソードとして引っぱり出されるだけなので、彼女がそれ以外の洋楽のスタイル、リズムとどう関わり、どれだけの成果をあげたか、というテーマに話が発展していくことはない。

一方「ロックにも挑戦した」と言われる「真赤な太陽」、あの作品に「ロック」を感じる人がいったいどれほどいるのだろうか。言うまでもなくあれは、「ロックに挑戦した」というより、この国のバンドがロックに挑戦した、その結果である「GSに挑戦した」ものであって、そうした二重のフィルターの果てに、ロックそのものからは遠くに来てしまっているとしかいえない。

「真赤な太陽」は67年の作品だが、もうこのころの彼女は、「美空ひばり」というブランドに自家中毒を起しているかのようで、ロックという形式と彼女のドメスティックなスタイルが交錯して、新たに何かが生まれるスリルなどどこにもない。単にGSという流行に乗ってみました、という以上の意味はそこには生まれていないのだ(似たようなケースでいえば、山口百恵の『ゴールデン・フライト』のほうがはるかに実り豊かなものだった)。

だが、美空ひばりが、洋楽の新たなスタイル・リズムに対するに、常にそうだったわけではもちろんない。冒頭で触れたジャズにしても、後年のものはやはり自家中毒状態であまりよくないが、しかし10代で挑戦した時の初々しい飛翔感には素晴らしいものがある。

そしてさらに、そうしたジャズでの成果をはるかにしのぐような、もっとスリリングで、パワフルで、自由奔放な世界の拡がりが美空ひばりにはあった。とりあえずこれから列記する曲名を見て、その豊かな世界の拡がりを何となく想像してもらいたい。

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あきれたブギ(50.12)

お祭りマンボ(52.8)

バイ・バイ・ハワイ(52.10)

春のサンバ(53.3)

チャルメラそば屋(53.8)

日和下駄(54.6)

陽気なバイヨン(54.12)

ペンキ塗り立て(56.1)

ひばりのチャチャチャ(56.1)

ロカビリー剣法(58.6)

ロカビリー芸者(60.1)

泣笑いマンボ(60.8)

ブルー・マンボ(60.9)

すたこらマンボ(61.2)

ひばりのドドンパ(61.4)

ひばりのツイスト(62.4)

ブルー・ツイスト(62.4)

ツイスト三百六十五夜(62.9)

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ひばりは1937年生まれだから、これらの楽曲群を歌ったのは13才から25才あたりということになるが、タイトルを眺めただけで、ジャズ以外の様々な洋楽のスタイル、リズムにも挑んでいた彼女の姿がはっきりと浮かんでくるだろう。

想像しようにも、タイトルからはどんな「世界」なのか見当のつけようがない曲について言えば、「チャルメラそば屋」は基本的にC&W、「カラコロカラコロ」という擬音を巧みに使った「日和下駄」と、「ペンキ塗り立て」はテンポ違いのシャッフルの曲だ

大ヒット曲「お祭りマンボ」はもちろん傑作だが、こうした楽曲群の中で最高にソフィスケイトされた1曲、という位置づけで捉えられねばならない(なお同曲は通常その後の再録版が聴かれているのだが、最もスピード感があるのは、上記初録音時の東京キューバン・ボーイズ・ヴァージョン)。

そして上記のどの曲においても、ビートやリズム、あるいはメロディに対する柔軟で自由な身のこなしは素晴らしく、まさに天才的であり、またマンボやツイスト、ドドンパといった曲における彼女のド迫力たるや、その強烈さにおいて他の追随を許さない。

たとえば、「ドドンパ」といえば渡辺マリの「東京ドドンパ娘」が代表的なわけだが、あれはあれで牧歌的なよさがあるものの、「ひばりのドドンパ」のワイルドな魅力に接すると、一気に半端なものに聴こえて色褪せてしまう。

歌詞からして豪快そのもので、「私はドドンパ娘/いつでも本気で勝負する/雨が降っても降らなくても/ゴムの長靴ブカブカと・・・/ドドンと一発体当たり」といった調子で、雨も降ってないのにゴム長はいて本気で体当たりされたら、こりゃ何だかわからないけど勝てそうもない(笑)。

この「ひばりのドドンパ」も含め上記の作品は、「リンゴ追分」の作曲者でもある米山正夫の作詞・作曲のものが多く、めまいのするような転調をひょいと入れたり(映画の劇中歌ゆえの場合もあるだろう)、ひばりに対してちょっとサディスティックに、わざと彼女の地声と裏声の境をやたらと往復するメロディ・ラインを作ったり、曲作り自体の面白さも聴きものだ。

しかし、美空ひばりのこうした世界の拡がりは、ひたすらドメスティックに閉じたスタイルの64年の「柔」、そして66年の「悲しい酒」をトドメとして、完全に塞がれてしまう。その後の彼女は、何を歌おうが、先述したように、ブランドとしての「美空ひばり」を保守するだけの歌手でしかなくなってしまうのである。

だが、洋楽(といっても、それは今のように英に偏向したものではなく、「世界の音楽」を意味するが)に向かって開かれていた時の彼女の歴史をまったく捨象して、「悲しい酒」を「最高傑作」とする「演歌の女王」としてしか美空ひばりが語られないのは、あまりに不幸なこととしか言えない。

こうした見方は、ほんとは別に私なんぞがここで書くまでもなく、美空ひばりが亡くなった当時、とっくにあちこちで語られていたことだ。「世界に開かれていた」時代の美空ひばりを、当時注目を浴びていたいわゆる「ワールド・ミュージック」的な見地から再評価する必要性も説かれていた。

最大の問題は、上記のような数々の優れた作品に、現時点で接することが非常に困難だということだ。

「CD何十枚組大全集」的なものを買えばある程度は手に入るかもしれないが、大半の他の曲が「閉じて」しまった、言わば「悲しい酒」路線の曲ばかりになるので、あまりにリスクが大きすぎる。90年代以降、様々なアーチストの趣向をこらしたコンピ、アンソロジーもののCDがたくさん世に出ているのに、どうして「世界に開かれていた」美空ひばりのポップ・ソング集は編纂されないのだろうか。

「ツイスト三百六十五夜」のように、数多く出演した映画の劇中歌としての音源にとどまり、レコード用の録音が残されていないものも多いから、ひと手間かかる要素もあるだろうが、しかし彼女のそうした側面の素晴らしさが浮き彫りになるよう、まとまった形のCDを世に出すことは、レコード会社を初め関係者の使命のはずではないか。

当然、そのうちそうしたコンピが出るだろうと、私はずっと楽しみにしていたのだが、十七回忌を迎えるというのに、いまだ何の音沙汰もないのはどういうわけだろう。彼女の音源の回りには、何かアンタッチャブルな聖域でもあるのだろうか。

CCCDだの輸入盤規制だの着うただのと目先のことにばかり血眼になってないで、レコード会社にはもっと他にやっておくべきことがあるだろう。TV局も、「「悲しい酒」を歌う時、セリフの所で必ず泣いた映像集」みたいな阿呆なことばかりやってないで、もっと世に出すべき映像があるだろう(劇中歌なら、歌う姿付きである!)。

ところで、美空ひばりが亡くなった当日、彼女を偲ぶ生放送の番組に出演していた都はるみの表情、態度はとても印象的だった。

アナウンサーや居並ぶゲストが、揃って「偉大だった」「誰にも越えられない」「天才」といった形容を連発し、そして「一つの時代が終わった」と締めくくる発言をくり返す雰囲気に、明らかに彼女は当惑・・・を越えて、激しく苛立っているようにしか見えなかった。

その時都はるみは、そういった類いの賛辞をほとんど口にしなかったと思う。もちろん、「時代を作った」ひばりの「かつての」凄さを、彼女が知らないわけはない。本人との心の交流もあったようだ。

だが、一度引退したあと「音楽プロデューサー」として再起し、今、この時代に呼応する新しい「歌」の在り方を懸命に模索していた彼女からすれば、「ひばりの時代」などとっくに終わっている、と言いたかったのではないか。

実際、本人が心をこめて歌っていたことを貶めるつもりはないが、「晩年の傑作」ということになっている「川の流れのように」などという気の抜けた「ニュー・ミュージック」風の作品が、どう時代とリンクしていたというのだろう。

とはいえ、ひばりが亡くなった直後に、人々が賛辞を送っている場所で、冷水を浴びせるような形になる発言もできないだろう。彼女はゲストの中では一番の「大物」だったが、もどかしげに一人浮いていた。

ままあるパターンではあるが、天才的、とばかり祭り上げることは、あるいは「苦難の人生」みたいな、音楽そのものを離れた要素の過剰な強調は、贔屓の引き倒しにしかならず、そのアーチストの真の魅力、存在の意味を返って毀損するものにしかならない。

美空ひばりのほんとうの凄さを知るがゆえに、彼女はそうした表面的な賛辞に追随することを拒んでいたのだと思う。

というわけで、そういう話の続編として、いきなり王道?に戻って、次回はジョン・レノンについて書こう・・・ま、そんな気ままなページですんで、よろしく。

最後に、「真赤な太陽」関連の話題をひとつ、ふたつ。

美空ひばりの同路線の曲には、もう1曲、その半年後にリリースしスマッシュ・ヒットした「むらさきの夜明け」という曲がある。ブルーコメッツ調のアレンジに違いはないが、こちらのほうがリズムの振幅が大きく、異様なスイング感があり、ビートははるかに強烈、「ひばりのロック」としては間違いなく「真赤な太陽」の上を行く怪作となっている。

そして「真赤な太陽」には、おおたか静流の『PERFORMANCE 3』というアルバム(96年リリース)に収録された、秀逸なカヴァー・ヴァージョンがあることをつけ加えておこう。

サビに至ると軍歌のように行進してしまうこの曲を、どこまでもクールにけだるく解体し、良質の歌謡ブルースに仕上げたそのアレンジの主は、森園勝敏なのだった。

(おわり)

05.6.24記