*◎1971年6月23日(wed)◎
無名バンド総決起集会

前年12月の「玉蔵院ロック・フェスティヴァル」が、浦和における初の「ロック・コンサート」であり野外イヴェントだったとすれば、この「無名バンド総決起集会」は、ホールでの初のロック・コンサートだった。そして、その後のURCの活動の核となる安全バンドと四人囃子が、初めて正式に浦和に登場したコンサートでもあった。

そうした実に記念すべきイヴェントなのだが、しかし関係者の記憶はほとんど残っていない。スタッフは、10近いバンドがとどこおりなく演奏できるよう、何から何まで初体験の状況で動き回っていて、ステージなどまともに観ているヒマはなかったためだろう。

管理人もなぜかこの日は観に行っていないので、ここで具体的に書けることは残念ながら何もない・・・しょうがないのでポスターからわかることを書くと、平日(水曜日)午後1時という設定から、集客の主要な対象が高校・大学生だったことがわかる。

平日のほうが会場費が安いということもあったろうが、やはり大学生以上の「大人」がロックを聴くことなど、ハナから考えられない、少なくとも配慮に値しない時代だったということだ。

さらに、10近いバンドが出て午後1時開演ということは、まともなリハーサルは行なわれていないことを意味する。このころチューニング・メーターはもちろん、エフェクターの類もろくに存在しないから、当日バンドのメンバーは、いきなり本番のステージに上がるや、アンプに直接ギターのジャックを突っ込み、適当にチューニングをしたら即演奏を始めたわけだ。

一方このコンサートは「入場無料」であるから、バンドと聴き手のあいだを「金」が媒介することもなければ、「無名」なのであるから、知名度、人気が媒介することもない。要するに、音を出すこと、それを聴くこと、その様々な局面で、迂回する回路が極小の状態だったのが、この「無名バンド総決起集会」であった。

それは半分は否も応もない事情によるものだったが、半分は充分に意識的なものだった。その意識とは「すべてのものごとは、可能な限りダイレクトに直結されるべきだ」という意識であり、そのスタイルにこそロックの本質を見ていたのである。

「無名バンド総決起集会」は、4年後の75年、その第2回目が開かれ復活する。それは74年ごろを境に、この国のロックが急速にシステム化されていく中で、「迂回する回路が極小」の、その「原点」の再確認の必要性を痛感してのことなのだった。